京都、花街の一角。
いつもならひっそりと佇むワインバーバハムートだが、今日だけは「ひっそりと」というわけではないようだ。
この日は当店のオーナー山崎氏の誕生日。
友人の坂本氏夫妻に芸妓のよし夏菜さん、日ね史さん、舞妓のゆり咲奈ちゃんの芸舞妓衆3名を加えた計6名でわいわいと賑わっていた。
「なんえ山崎はん。枯れた花屋のオヤジみたいな顔しはって。この前のお蕎麦のお礼に駆けつけてあげたウチの律儀さに感動したはるん?」
「枯れた花屋のオヤジて、ウマいこと言うもんやな日ね史さん(笑)それにしても山崎!もうお眠か?よる年並には勝てんのお」
「黙りよし!誰が枯れた花屋のオヤジや。花ならまだまだ咲かせるわい!」
「ほな、花咲じじいどすな(笑)あ。アカンアカン。山崎はんやとつい軽口を叩いてしまうわ。今日はお誕生日お誕生日。ぶつぶつ、、、、、あらあお兄さんおめでとうはんどすう」
「もう遅いわ!悪史め!もおおううう、よし夏菜さん!この芸妓さん何とかして!」
「そう言うてお兄さん、楽しそうどすえ(笑)」
「そうですよオーナー!よし夏菜さんが楽しそうて言うてはるんやから楽しいんでしょ?」
「そんな殺生なよし夏菜さん。あと、ポリフェノール!オマエはまたすぐに夏菜さんに追従する!
もうアカン!やっぱりゆり咲奈ちゃんだけや俺の味方は!みんなして幼気なオヤジをイジメはるんや!咲奈ちゃん、叱っておくれやす!」
「ぴぴぴ!ゆり咲奈ちゃんはウチら夫婦の担当やからアンタはあっちの綺麗な姐さん二人にイジメられときい!誕生日に別嬪芸妓二人にイジメられるなんてこんな幸せなことあれへんで!(笑)」
「オーナーさん、すんまへーん。」
「ゆり咲奈ちゃんはなんも悪いことないから謝らんでええねんで!おし!こっちもやられてばっかやあらへん!」
「おう!イケイケ山崎!骨は拾ったる!」
威勢よく日ね史さんに挑んだ山崎氏だったが、「そういえば山崎はん、この前高島屋のエルメスに入って何を買ったはったんどすか?」の一言でアッサリ白旗をあげた。
もっとも、心の底からの笑顔で誰がどう見ても楽しそうだ。
余談だが、花街に通う旦那衆の遊び方にはいくつかのパターンがあるのだがこれも一つの典型。
例えば大きい会社の社長やワンマン経営者なんかは普段なかなか他人に面と向かってけちょんけちょんにされることがない。
そこへ行くと芸舞妓さん達はそういう俗世の浮世に疎いので相手が偉かろうが何だろうが等しく楽しませるのが勤めなので、良い意味で遠慮がない。
相手がイジメられて喜ぶタイプだと見抜けば、怒らせない上手なイジメ方で楽しませる術を心得ているのだ。
店主でソムリエのポリフェノールもアルバイトのコダマちゃんもみんなの親しげな空気感の中、心地よくサービスをし気付けば何本目かのシャンパンを空けていた。

「ふう。まだシャンパンでもええんやけどそろそろ雰囲気変えて赤ワインにでもしようか」
山崎氏が空いたボトルを眺めながら考える。
考えてチラッとポリフェノールを見るともう次のワインを用意していた。
「こちらは坂本夫妻のお二人からです。そろそろ違うモノをとおっしゃるだろうと思い先程デキャンタージュも済ませています。どうぞお楽しみください。
オーナーの生まれ年のシャトーレオヴィルバルトン1964年です。」
ワインはボルドー、サンジュリアンの格付け第2級だ。
1964年は佳作年。この頃のボルドーワインはまだ手で一本一本瓶詰めされていたので瓶ムラがあり、これくらいのヴィンテージ物になると開けてみないことには細かい熟成の具合までは解らない。
もちろん、それを管理予想するのがソムリエの仕事なのでデキャンタージュしてサービスしている以上、ポリフェノールが傷んだワインや熟成が過度にすすんだワインを出すことは有り得ない。
山崎氏は友人夫妻に礼を述べゆっくりとグラスを傾けた。
「ああ。ウマい、、、、、言葉が無くなるウマさとはまさにこれだ。坂本、奥さん、ホンマにおおきに。」
礼を言われて逆に恥ずかしそうにする二人。
ついさっきまでのバカ騒ぎとは一転して静かな時間が流れた。
それはただの沈黙ではなく、
お互いの友情や生きてきた過程を思い出すようなホッとする温かい時間。
1964年は坂本夫妻にとっても生まれ年。
同級生の三人にとって一瞬でタイムスリップしたかのような幻想が確かにそこにあった。
時に熟成のワインとはそういう想いを過ごす為のツールとして役立つことがある。
沈黙はほんの数分。
でもその沈黙の数分こそがこの日三人が一番話し合った時間だったのかもしれない。

空気を読み程よいタイミングで元のバカ騒ぎに移行させる姐さん達に乗ってこの日は少し遅めの時間まで楽しみそれぞれタクシーで帰っていった。
後片付けをしながらコダマちゃんがポリフェノールに聞く。
「今日のワイン。どうしてシャトーレオヴィルバルトンだったんですか?1964年のワインっていうだけなら他にもありましたよね?」
「まだまだ勉強不足だねえ。それはレオヴィルだったからだよ。後は宿題ね」
拗ねるコダマちゃんをあやすようにグラスを拭くポリフェノール。
最近、コダマちゃんがワインの勉強をしてるようだというのを聞いて逆にあまり教え過ぎないようにしているのだ。さらっと身に着いた知識や経験はサラッと消えるというのが彼の持論なのだ。
だが、レオヴィルの話しは確かに彼が言うように簡単なことだった。
シャトー・レオヴィル・バルトン
シャトー・レオヴィル・ラス・カーズ
シャトー・レオヴィル・ポワフェレ
ボルドー、サンジュリアンにはレオヴィル三兄弟と言われる上記三つのワインがある。
元は全てレオヴィルという名の一つのワインだったのだが、分家によって三つに別れたのだ。
今回、ポリフェノールがこのレオヴィルのワインを選んだ理由の一つには山崎氏と坂本夫妻の三人が普段からまるで兄妹のように仲が良いと知っていたから。
まるで同じ家族であるかのような光景がこれからも続くようにと願ったからだった。
果たしてその願いが届くのかは誰にも解らない。
ただ、3人はこの日この時のワインの香りだけは、どこかほんの記憶の片隅にでも残るだろう。
あの時の短い沈黙の間に交わした沢山の言葉と共に。