花街にひっそりと佇むワインバーバハムート。
今夜は一組のカップルが一本のワインを酒の肴に語らっていた。
「昔はこんな高いワインは飲めなかったわねえ。」
しみじみとする女性は40代半ば。
目鼻立ちのハッキリとした黒髪ロングが艶やかな美人さんだ。
「そうやなあ。金なかったからなあ(笑)。ドイツに行った時でも一番安いワインをカラフェで飲んでたぐらいやったしな」
答える男性は50代後半。当ワインバーバハムートのオーナー山崎だ。
すっかり銀髪だが快活な雰囲気の山崎は実際の年齢よりは若く見え、並んだ二人の様子は長年連れ添った夫婦のようにも見える。
だが、実際には20年振り。
祇園の寿司屋で偶然の再会を果たし、これがまともに会話をする初の機会だったのだ。
ソムリエのポリフェノールはもちろん、アルバイトのコダマちゃんもただならぬ雰囲気を感じ取って余計な口出しはしない。
常の山崎なら豪快な笑い声がカウンターに響いているはずなのだが、、
「ソムリエさん。このワインはなんていうワインなの?」
彼女のこの質問に思わず山崎が
「なんや?知らんでこのワイン頼んだんかいな。ややこしいなあ」
「今ハマってるドラマの中で確か同じような名前のワインが出て来たのよ。ちょっとどんなのか飲んでみたくて。って、何がややこしいのよ」
二人の会話のタイミングを見計らってポリフェノールが話しだす。
「こちらのワインはフランス、ブルゴーニュの一級畑のワイン。シャンボールミュジニー・レザムルーズの2004年、作り手はユドロ・モワンヌのものになります。
特徴としては、何よりも華やかな香りですね。
満開の花が咲いたような華やかな香りは数あるブルゴーニュワインの中でもトップクラスです。
2004年はこのワインとしてはまだ若さも残るのですが、後口の酸が非常に綺麗でアタックに来る甘い果実の風味との対比が美しいワインです。」

「ブルゴーニュのワインて長い名前なのね。それに貴方は良いソムリエさんね。山崎さんが今どういう人らに囲まれているのか気になってたんやけど安心したわ。
この人、繊細なクセに豪快なフリをして結局最後は自分だけが損をするように持っていくのよ。
器用なクセに超不器用!よろしく頼むわね。あなた達みたいな人がいるなら私も長年の心のしこりが取れる想いだわ(笑)」
「こっちのセリフや!と言うか、ポリフェノールもコダマちゃんもお世話してんのは俺!だいたいなんやそのオカンが学校の先生にヤンチャ坊主を頼むみたいな感じ!」
「ほらまた強がる。ホントに昔と変わらないわあ。もう少し素直だったら私達も別れずにすんだのに」
「ちょ!これ!急になんや。一応ワシ、この子達の雇主なんやからあ」
唐突な彼女の暴露に顔を赤くする山崎。
完全にタジタジになっているが、ポリフェノールもコダマちゃんもそんなことはとっくに気付いていたわけで。
気付いていたからこそ、ポリフェノールは今回のワインの説明を省き彼女はそんなポリフェノールを「良いソムリエさん」と表現したのだ。
それは、
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ポリフェノールはあえて説明を避けたのだが、「レザムルーズ」というこのワインの畑名は直訳すると「恋人たち」という意味だ。
数あるシャンボールミュジニーの畑の中でも特に人気で、古くはこの畑の近くにあった湖のほとりで愛を語らうカップルが多くいたからというのが謂れだ。
しかも子のワイン。葡萄の樹からしてちょっと違う。
普通この地域のブドウの樹はギヨーサンプルという一本の太い幹から一本の太い蔓が伸びてブドウの実がなる。
ところが、恋人達の名のせいか「レザムルーズ」の畑だけはギヨードゥーブルという太い幹が途中から二股に別れて、そこからそれぞれに蔓を伸ばすタイプだ。
この仕立ての為に恋人という表現が使われているなら意味深だ。
まして元恋人との再会に飲むワインとしてはなおのことで。。。
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ひとしきりワインを楽しんだ後、彼女は席を立った。
「なんや、もう行くんか?」
「そうね。ガラじゃないなあと思ったけど、昔を懐かしむのも楽しかったわ。また10年くらいしたら一緒にこのワインを飲んであげるわよ(笑)」
帰っていく彼女を山崎は追いかけることなく、その場で見送った。
「アイツ、やっぱりこのワインのこと知っとったんやな」
山崎が思わずもらした一言にコダマちゃんが聞く
「え?どういうことですか?」
山崎は何かを振り払うかのように
「なんでもないわ!よーし、景気直しにシャンパンでも飲もか!コダマちゃん!シャンパン開けれるようになったんか!?」
「もうバッチリですよ♪じゃあクリスタルいきまーす!」
「ちょ、シャンパンて他にもあるやろ?」
ぽんっ
言うが早いかコダマちゃんが勢いよくシャンパンを開ける。
「おもいっきり音鳴っとるやないか!音鳴らさんように開けれるか?って言うたんやけど!」
「コダマちゃん、もう一本練習させてくれはるんちゃう?」
「アホ言えアホ言え!(笑)」
それとなく気遣ってバカをやってくれる二人に山崎は心の中だけで礼を言う。
こうして今夜もワインバーバハムートの夜が更けていった。