京都、花街にひっそりと佇むワインバーバハムート。
この日のカウンターは常連の芝田親子がいた。(ワインバーバハムートの日常その11隠者のワイン参照)
2人はグラスシャンパンを片手に何か話すでもなく難しい顔で黙り込んでいる。
こんな時は空気クラッシャーことアルバイトのコダマちゃんの出番だ。
店主のポリフェノールに促されて重たくなった空気を打ち壊すべくコダマちゃんが
「今日、お2人どうしちゃったんですか?初日からボギー連発のゴルファーみたいな顔して」
「ボギー、、確かにあれはゴルフのボギーやった、、。」
「お父さん、しっかりして!ボギーってなんの話しよ?そもそもゴルフなんかしてないでしょ?」
「そうやったな。我々がしてたのはボギーやない。貿易や。ゴルフやなくてゴーフルの貿易やったわ。
コダマちゃんありがとう。おかげで目が覚めたわ」
「あー。逆になんの話しなんだかぜんぜん解んないんですけど、お役に立てたならなによりです」
乾いた笑顔の芝田父にコダマちゃんは苦笑いで答える。
そんなコダマちゃんに芝田の娘であり現社長の洋子が話しかける。
「お父さん、一応お仕事は引退したじゃない?
それで私が会社を継いだんだけど、今回降ってわいたような凄く条件の良いお仕事がきたの。
それもお父さんが昔お世話したっていう後輩の紹介で。
そうなったら引退したとはいえお父さんにも手伝ってもらって昨日までは順調に話しが進んでたんだけど」
「進んでたんだけど?どうなったんですか?」
「孫の孝也が勝手に違う商品を先方に提案して、よりにもよってそれが認められたんじゃ!いきなりじゃ!おかげでこっちは大混乱、契約書から何からてんやわんや!!もう訳が解らん!!」
普段は冷静沈着な芝田父が青筋を立ててカウンターで立ち上がってしまう。すぐに冷静さを取り戻し着席するが今度はまた俯いて呆然とする有様だ。
「お父さんね。ショックだったみたいなの。孝也は大卒でまだウチに来て5年目なんだけど私もお父さんも将来の3代目にと思って育ててたから。
いきなり反目するかのようなやり方に戸惑って、怒っていいのか泣いていいのか解らないのよ。
かく言う私も我が息子ながらなんでこうなったのか理解できないもの。
問い質すにも孝也はフランスを飛び回って捕まらないし、こちらからの一切の連絡を無視なの。
結果だけはよこしてくるくせにね。現状お手上げってわけよ」
疲れた様子で説明する洋子を見かねてポリフェノールが声をかける。
「うーん。なかなか大変なご様子ですね。でもそんな時は美味しいワインを飲んで気持ちと思考を切り替えるのが一番ですよ。
先日テイスティングしたところ、すこぶる状態が良くなってたおススメがあります。いかがですか?」
「それいただくわ。そうね。こんな時こそ美味しいワインでリフレッシュしなきゃ」
「それでは」
ポリフェノールは一本のワインをサービスした。

それは ジャン・フランソワ・コシュ・デュリのムルソー2004。
白ワインの生産者としては世界一の声も上がるブルゴーニュの名門コシュ・デュリのワインだ。
均整の取れた酸と果実味のアタックからグラマラスなボディ、美しく長く続く余韻という一本で白ワインの良いところ全てを体現するような味わい。04年は特にここ数年素晴らしい香りを表現していた。
芝田親子も一口飲んでお互いに顔を見合う。
「うわあ♪これ美味しい♪」
「うううん。確かにこれは唸るような味ですな。特に自信たっぷりといった感じの香りが素晴らしい。力が漲ってくるようだ」
「ありがとうございます。コシュ・デュリは世界の白ワイン生産者の中にあって5本の指に入る名門です。おっしゃったような自信たっぷりな香りが最大の魅力です。
お疲れが吹き飛んだならなによりです。」
「そうねー。ポリフェノールさんの言う通りこれを飲んで疲れを吹き飛ばさなきゃ!
お父さん!やっぱり私、孝也のヤツが何考えてるかフランスに行って直接聞いてくるわ。」
「いや、それなら私が行こう。オマエは社長じゃ。
この混乱の最中にオマエまで居なくなってしまったら国内の社員達に誰が説明するんじゃ。それに仕事は他にもある。S社の件も大詰めじゃろう」
ここで空気クラッシャーのコダマちゃんが一言喋ってしまう。
「孝也さんでしたっけ。洋子さんの息子さんてことは三代目さんになる方なんですよね?
正式に三代目になる前にちょっと冒険したかったんですかねー?
今の内の失敗なら洋子さんや会長さんがカバーしてくれるでしょうけど、自分が社長になった後じゃあ責任重大で無茶なこともしにくいですもんね。
わかるなあ。私も最悪実家の親に甘えたらなんとかなるかと思って高いランチ食べに行っちゃったりしますもん。この間なんて3000円もしたんですよ!」
「コダマちゃん。最初は悪くない感じだったけどだんだんずれてきてるよ?
3000円のランチの話しはまた今度にしようか(笑)」
ポリフェノールが苦笑いでコダマちゃんにツッコむ。
だが、聞いていた芝田親子は違う。まるで憑き物が取れたような顔をしている。
「な、なるほどね!コダマちゃん!それすごく良いこと聞いちゃったかも!そうか。冒険するなら今のウチにってことか」
「うむ。私も焦って浅慮になっていたかもしれんな。もう一度孝也のよこした資料を精査してみよう。
あまりに前例のない仕事の仕方で面食らったが、案外アイツちゃんと考えてやってるのかもしれん」
予想外に納得していく二人にポリフェノールが
「なんかすいません。コダマちゃんが余計な事を申しまして。
ではこの流れに乗って私も一言。
今お飲みになられているワイン。コシュ・デュリの前にJ・Fと記載があるかと思います。
実はこれ、このドメーヌの三代目ジャン・フランソワのサインなんです。
ドメーヌは1920年代に設立の後しばらくは自社畑のブドウをネゴシアンに売るのを主としていました。
三代目のジャンの時代になってようやく自社畑のブドウを使って自社で醸造瓶詰めを行うドメーヌ業を確立していきます。当時のブルゴーニュとしては珍しい存在だったそうですよ。
ただ、そんな稀有な存在であったから現在のような名門の地位を得たとも言えます。」
「むう。この自信たっぷりの香りはまさにその誇りからくるものというわけですか。
ジャン・フランソワは今も良いワインを作ってるんでしょうね」
「それが、2008年に引退してさらに息子のラファエルに跡を託しています」
「なんと!ふうううむ。ではこの自信たっぷりの味わいを作ったのはまさに晩年の傑作でしたか」
洋子はこの話しを聞いて何かを決意した表情を浮かべていた。
「うん。そうようね。やっぱり若者の足を止めるんじゃなくて歩を進める先輩でいたいわ」
彼女が達観したようにそう話した時洋子の携帯電話が鳴った。
まさに件の孝也からの電話だ。
「。...うん。うん。解った。そういうことなのね。ではこの件は貴方に任せます。
だた、あの書類では不十分だわ。そこは明日改めてメールで問題点を指摘しておくから確認するように」
電話を終えて席につくと洋子は話しはじめた。
「とにかく。任せてみる。サポートには私も回るからお父さんには根回しをお願いするわ!」
「うむ。解った。オマエが孝也を信じるなら私もオマエを信じよう。
手助けもする。だが、今はもう少しこのワインを味わうとしよう」
「そうね!こんな美味しいワインをつまんない話しで台無しにしちゃもったいないわ♪
それにしても今回はコダマちゃんのおかげだわ。
さっきの話ししてなかったら頭ごなしに電話で怒鳴りつけてたと思うもん(笑)
今度何かお礼してあげるねっ」
「えー!そんなそんな!たいしたことしてないですよお♪
お礼だなんてそんな、、、あ、でも今度3000円のランチ連れてってもらおかなー(笑)」
そんなコダマちゃんに大笑いする親子と苦笑いするポリフェノール。
今夜もこうしてワインバーバハムートの夜が更けていった。