京都、花街の一角にひっそりと佇むワインバーバハムート。
今夜そのカウンターには常連の北原と南川の二人が、芸妓のよし夏菜、舞妓のゆり咲奈を連れて来店していた。(ワインバーバハムートの日常その17&18参照)
「今日の中華美味かったなあ♪」
軽く杯をあおりながら南川が話す。
「そうどすなあ♪あそこ、予約なかなか取れへんのどっしゃろ?」
よし夏菜が笑顔で答える。
「そうやねん。だいたい半年待ち。北原は親の代からの付き合いやしキャンセル出たら向こうから連絡もらえるんや。」
目を丸くしてゆり咲奈が北原に話す。
「へえ!半年どすか!北原さん、スゴおすね!」
「いやあ。凄いのは親父で、僕は義理で顔を繋げてもらってるだけやわ。」
北原は少し照れた様子で、おつまみのドライフルーツを口一杯にほうばって話す。
「そうは言うけどな!顔を繋げるコネがあることがもうズルいよな!」
「それはそうどすなあ。ウチ等、花街やったら顔を繋げるのが全てくらい大事やし。ズルおすね(笑)」
「ズルいて言わんといてよし夏菜さん(笑)これでもそれなりに苦労してんねんで」
苦笑いする北原に南川が追い打ちをかける
「いや、やっぱりズルい!受験の時かて金の心配のないオマエは私立の医大。俺は国立。」
「古い話し持ち出すなあ。それこそ、しゃあないやん」
「しゃあなくない!就職の時かてそうや!こっちは必至の就職活動でようやっと今の会社に入れて、それからも寝る間を惜しんで働いてやっと今の地位や!
やのに、オマエときたら就職は親の病院。そのまま50代にして院長先生や。
ホンマ世の中不公平やわ!ゆり咲奈ちゃん、可哀想な僕を慰めて!」
大袈裟なアクションで泣き真似をする南川にゆり咲奈が
「へえ。お兄さんヨシヨシどす」
本当に頭を撫でられて南川は顔を真っ赤にしながら咳払いをして姿勢を正した。
「よし。と、言ったところでそんなワインを頼むわ。ポリフェノールさん。
あとゆり咲奈ちゃん、嬉しいけどオッサンの頭をヨシヨシはアカンで。恥ずかしいやん。嬉しいけど(笑)」
「南川、さっきからオマエは何を言うとんのや(笑)この流れでそんなワインてどんなワインやねん!
あとゆり咲奈ちゃん、そのオジサン怖いからこっちにおいで(笑)」
ポリフェノールも苦笑いしながら「弱りましたねえ」と言いながら、でも動きは止まらず一本のワインをセラーから取り出した。
「本日ご用意いたしますのはシャトー・ラ・ミッション・オーブリオン1984年です。
ボルドー、ペサック・レオニャン地区のワインですね。
いわゆるボルドーの格付けがあるのはこのペサック・レオニャン地区の北の方の地域で行われたものなのですが、例外的にシャトー・オーブリオンがペサック・レオニャンから選ばれています。
ちなみに、その時選ばれた格付けは第1級です。
そんなワインと隣り合わせのブドウ畑で常にオーブリオンのライバルとされてきたのがシャトー・ラ・ミッション・オーブリオンなのです。
有名なパーカーポイントでもしばしばオーブリオンを凌駕しています。
味わいは女性的と言われる柔らかいタッチのオーブリオンとは対になる男性的な力強いタッチ。
タンニンも豊富。猫の額程の小さな畑からよくもこれだけと言える深い味わいを毎年そつなく表現しています。」

話しながらポリフェノールは器用にデキャンタージュして、ワインをそれぞれに注いだ。
20才を過ぎたゆり咲奈にもワインを入れるが、酒の飲めないよし夏菜にはノンアルコールカクテルを。
皆は乾杯してワインを一口。
「ウマい!力強いって話しやったけど、ぜんぜん柔らかいやん!甘ーい香りもええわ!」
北原が感心の声を上げる。
「ほんまやな!84年ってことは30年近く前のヴィンテージか。ええ年なんやな」
南川も同調しポリフェノールに話す
「ところが残念。1984年はハズレ年です。」
「え?嘘やん!こんなウマいのに?」
「はい。そこがまたワインの面白いところでして。シャトー・ラ・ミッション・オーブリオンは本来超長期熟成向きのワインです。
例えば、その近年の当たり年の1982年とかなら逆に良い年過ぎてまだ固さが残っています。
今回のように柔らかく解けるような果実の香りは熟成のピークを迎えてこそ楽しめるものなのです。
ハズレ年の評価ですから価格も抑えられますしね!
ソムリエが良い年を売るだけの仕事ならヴィンテージチャートを見れば事足ります。
こういう「今」飲み頃のワインを紹介できることが重要なんです。」
「はー!面白い話しやな!今の飲み頃か!
本来良い年とされる1982年より悪い年とされる1984年の方が今は美味しく値段も安いって、知ってるかどうかでぜんぜん違うもんやな!」
「ほんまやな北原!高ければウマいってわけではないっちゅうのがまたええわ!
ポリフェノールさんは暗にそういうことを言うてはるんやぞ!」
「そ、そうなん?!俺が金持ちの上に頭も顔も良くて恵まれ過ぎた人生を送ってるけど調子乗んなよってこと?」
「いえいえ(笑)お二人とも解っていてご冗談を。ヴィンテージは良い悪いではなくいつ出会うかを。
ワインの選択は隣り合わせの二つのワインは常にお互いを高め合う良きライバルであったことを。
って意味ですよ。
ま、でも単純に美味しいワインなのでご紹介したかっただけです。お口に合いましたか?」
「ああ良かった!南川が変なこと言うからちょっと気にしてしもたやん。
でも、まあ南川がおらんかったら冗談抜きでさっき言うたような鼻もちならんしょうもない男になってた思うわ」
急に褒められて南川が恥ずかしそうに言う。
「北原。オマエはまたそんなこと言うて自分だけ良い子ちゃんになろう思うて!何年の付き合いや思てんねん!そんなタマやないやろが!」
「バレたか!(笑)いやあ、さっきのゆり咲奈ちゃんのヨシヨシええなあ思って。
凹んだフリからのヨシヨシになだれ込もう思うたんやけど(笑)」
などと、バカ話しに花を咲かせる男二人に芸妓のよし夏菜が
「ゆり咲奈ちゃん。やっぱりこっちに来よし。そのお二人に近づいたらアカンえ(笑)」
「えー!」「えー!!」
楽しそうに悲鳴を上げる男二人。
こうして今夜もワインバーバハムートの夜は更けていった。
良き時に良き友と良きワイン。
人生の飲み頃を飲み頃のワインと過ごす贅沢こそが何事にも代えがたい幸福ですね。
どうぞ皆様にもそんな時が訪れますように。