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ワインバーバハムートの日常

ワインバー バハムートの日常 その13 天才の120年

京都、花街の一角にひっそりと佇むワインバーバハムート。

今夜は少し疲れた様子の男がカウンターに一人。

男の年齢は40前後だろうか。

良い時計に良いスーツ。身なりの良さから見てもそれなりの立場で仕事をするビジネスマンと解る。

建築設計の会社経営をする当店の常連、坂本氏の紹介なので恐らく同業か近しい業界の若手社長といったところだろう。

ただ、見たまんまの若さならあまりにも覇気が無いのでソムリエのポリフェノールも声をかけるのをためらう様子だった。

「すいません。せっかく紹介していただいたお店で溜息ばかりで。ダメですよね。こんな雰囲気で飲んじゃあ高いワインにも申し訳がない。」

「いえ。お気になさらずに。こちらこそ逆にお気を遣わせてしまって。それにしても驚きました。開口一番ムートンをオーダーされる方も珍しいので」

「そりゃそうですよね(笑)坂本さんに今夜どうしてもムートンをゆっくり飲めるところを教えて欲しいとお願いしたらこちらを紹介されたので、ムートンムートンってなってて思わずいきなりムートン!って言っちゃったんです。びっくりさせてしまって」

「それにしても何故ムートンだったのですか?もちろん良いワインですけど何か特別な事情があるのではとお見受けしましたが」

少し長い話しになりますが、と前置きして男は語りだした。

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私は父から譲り受けた小さな建築設計の会社を経営していまして。

坂本さんには修行時代からお世話になっていて、今でもお仕事をまわしていただいたりしてるんです。

先日もある仕事の依頼をこちらに紹介いただき、無事に竣工となったんです。

竣工するまでの間に何度も何度もクライアントと話し合って決定した内容でしたから、完成の折にはクライアントにも喜んでいただきました。

本当に何も問題は無かったのです。無かったのですが、その完成披露パーティーの出席者の何気ない会話がどうしても心から離れなくなってしまって。。

「素敵なデザインのお店ねー。有名なデザイナーさんのものかしら?」

「最初はそのつもりで声をかけた先生がいたらしいんだけど、ギャランティが合わなくてその弟子に仕事がまわされたらしいね。」

誰も悪気は無いし話しの内容はほぼ事実なので文句もないのですが、名声の無い自分が設計したことで同じ物件でも価値が下がったように思われるのが悔しくて。

なにか少し虚しい気分になってその場を退席したんですよ。

その後、家に帰って何となくテレビを見ていたらある役者が誇らしげにムートンっていうワインを飲みながらいかにそのワインが一流であるかを語るシーンが流れていて。

一流一流ってホンマなんぼのもんやねん!ってなんか沸々と湧き上がるものが出てきちゃって。

そう思ったら居ても立っても居られなくなってこのワインを飲みに来たって訳なんです。

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「なるほどです。それにしても良いワインと出会われましたね。人との出会いもそうですがワインとの出会いも人生を豊かにする方法の一つだと思います。」

「このムートンのことですか?悔しいけど確かに美味しいです。でも値段が高い上にブランドなんだから美味しいのは当たり前じゃないですかね?」

男はくいっとグラスに輝く深紅の液体を味わう。「確かにウマい」と何故か怒ってるような口調で独り言のようにささやいている。

ポリフェノールはそんな男に優しい語り口である話しを始めた。

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こちらのワインは数あるボルドーワインの中でも5つしかない一級格付けのワインです。

格付けワイン自体も61しかないうえにそのトップ5の一つに数えられるので確かにブランドですが、だから美味しいのが当たり前というものではありません。

ボルドーの格付けが行われたのは1855年。

シャトームートンロートシルトの現オーナー一族がこの畑を所有したのが1853年。

元来有名なワインではありましたが、ちょうどこの頃前オーナーの情熱がワインにかけられなくなっていて調子を崩していました。

1855年の格付けは当時の流通価格で行われたのですが、その時一定金額に満たなかったムートンは2級とされてしまいます。

実は現在の1級格付けに上がったのは1973年。実に120年の歳月が流れたのです。

その間、歴代の当主はムートンをなんとか一級にしようと味わいはもちろん様々な努力に努力を重ねて120年かけて名声を勝ち得たのです。

余談ですが、1972年に一度当時のフランス国会で反対1票を除くほぼ満票で1級に格上げが決定しました。しかし、当時の当主はこの反対の1票に不服を唱え1級格上げを自ら辞退します。

焦った国会議員達は翌年再度の決議の後、反対無しの全会一致で1級格上げを決定しました。

そういうことならと1級格上げを受け、死して名声を得たピカソになぞらえてワインのラベルをピカソに。ラベルには「かつて2級なりし。今1級足りえる。しかしムートンは変わらず」の文句を書き添えます。

強烈なアピールですが、それは全て名声に驕ったものではなくたゆまぬ努力を世代を超えてまで続けた結果であるとのメッセージなのです。

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「へええ。廃れたとはいえ元有名ブランドでもその名声を取り戻すのに120年か。

ウチは親父が作った会社なんですがそれが2003年で。

親父の病で急遽代替わりしてまだ5年ですから会社も新社長の自分もまだまだ新米。

何も知らずに一丁前に一流に嫉妬なんて10年、いや100年早かったですね(笑)」

「今日お飲みいただいたのは1989年でしたが、2003年はちょうどこのムートンが今の一族になって150周年の記念ボトルになってまして」

これが当時ワイン会はもとより政財界の天才と言われたバロンフィリップ・ロートシルト氏の遺影です。

1973年のムートン1級格上げを後押しした当時の農林水産大臣ジャック・シラク氏が大統領になれたのもこの人物の後押しのおかげなんて都市伝説がささやかれる大物です。

「一族120年越しの夢を叶えた天才のワインですか。まだ僕には早いでしょうね。」

「お客様に早いかどうかは私にはわかりかねますが、このワインの一番良いと思える飲み頃にはまだ早いでしょうね」

「へえ。それはあと何年くらい先なの?」

「んんー。経験則による感ですがあと20年。2040年頃になるかと思います」

「よし!そのワイン買った!2040年までに僕が、僕自身がブランドになってそのワインを開けよう!」

「それは素晴らしいことです。それでは大切に保管しておきましょう」

男は背筋を伸ばし、来た時の数倍の気迫を感じられる表情をして店を後にした。

20年後彼はすっかり老いた恩人の坂本氏を招いて共にこのワインを楽しんだのだが、その話しはまた別の機会で….

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