古くから京都で言われる諺のようなものに「鴨の流れと白足袋には逆らうな」というものがあります。
鴨の流れはそのまんま鴨川のこと。
鴨川は北から南に流れている。
これはシンプルに京都の地形が南北で標高差があるから。
一説に、京都の南にある東寺のてっぺんの高さと北にある北大路通りという通りの地面が同じ高さらしい。
ちなみに筆者は北白川から岩倉にある高校に自転車で通っていたのだが、行きはほぼずうっと上り坂。
朝の遅刻しそうな時に軽めといはいえ上りが続くのはキツイもので、同級生は皆足腰が丈夫になっていったそうな。知らんけど(笑)
鴨の流れとはそうした地理的な問題によって高いとこから低いとこへ流れる鴨川の道理と、京都の中で連綿と続く時間の流れをそう表現しているそうだ。
要するに、「鴨川は絶対に北から南に流れるし、時間の流れも同じように巻き戻ることなどあらへん」という意味だ。
はい。ここで次の「白足袋に逆らうな」これは白足袋を履く職業のことです。
白足袋を履く職業と言えば、神社の神主さん、お寺のお坊さん、伝統芸能の師匠方々、歌舞伎の役者さん、芸舞妓さん、旅館やお茶室の仲居さんや女将さん。エトセトラエトセトラ。
代表的なものだけでもこんな感じです。
この方々、京都という街においては何かと発言力が強い。
例えば、超有名歌舞伎役者のAさんがどこそこのご飯屋さんを贔屓にしてはると聞いたらファンの方はもちろん、あの人が贔屓するくらいやったらよっぽどええとこなんやとお店も流行る。
逆に超売れっ子芸舞妓のBさんがあそこは苦手どす~と言えばその芸舞妓さんを贔屓にしてる旦那衆もそこには行かんようになる。
そんなシステムが長年の歴史の中で何となく仕上がったのが京都という街だ。
白足袋を履く職業の方々はたいていが良いとこの旦那衆と繋がっていて、利害関係をぜんぜん無視して自分の個人的好みをスピーカーしちゃうので(それが仕事とも言えるからこそなのだが)、振り回されないように京都の人達はそういう方が来られた際は細心の注意を払う。
結果として、一見さんお断り等という旧時代的なものが横行するこの街に於いて「白足袋には逆らうな」が暗黙の了解となるのだ。
某有名飲食サイトのポイントより、あの師匠がご贔屓にしてはるお店やったら信用できるわあ。っていうのが京都人共通の認識なのだ。
実際に京都に住んでいる人間としては、そのおススメをしてくれる人と自分の感性が合うなら確かにその通りだとは思う。でもこれって、どこ行ったってそういうもんじゃないの?とも思う。
思うが、それを強めに体現してるのが京都なんだろうな。と思います。
ちなみに、この「白足袋には逆らうな」っていうのは本当に独特で、かつリアル。
実体験として、こんな話しがある。
ある芸妓さんがCというご飯屋さんに行こうとお客様に誘われたところ、「イヤどす」と答えた。
なんで?とお客様が聞くと「トイレが狭いから」と言うのが回答だった。
閉所恐怖症の話しではない。
芸舞妓さんは基本、お着物だ。
お客様とのご飯食べも場合によっては白塗りでがっちりの和装の時もある。
そんな時にお手洗いが汚いお店は論外。狭いのも綺麗な着物を汚してしまうかもしれないので嫌煙されるのだ。
そんな訳で、事情が解っている大手のホテルやご飯屋さんはたいていがお手洗いを広く清潔にしている。
せっかく完璧なサービスをしても、そんなとこでバツをもらってはアホらしいということだ。
「鴨の流れと白足袋には逆らうな」これは鴨川の流れはどなたさんがなんと言おうと北から南に流れますし、同じように流れる時間を巻き戻すことはできません。
また、白足袋を履いてはる職業の方に逆らうのも鴨川の話しと同じようにアホなことやという意味ですな。
と、前置きが随分長くなりましたが今夜のワインバーバハムートはそんなお話。
京都、花街の一角にひっそりと佇むワインバーバハムート。
今夜そのカウンターは大賑わいだった。
そして密かに、でも確実に皆が気付いていた。
それは
「あれ?あっちのあの人、お寺さん関係じゃね?」
「あれ?こっちのこの人もそんな話ししてるんじゃね?」
そう。店内のゲストは全てお寺さん関係!
お寺さん関係の方が連れてきたポリフェノールも知らない初めましての方も見るからにお寺さん関係!
そして、見ても分かりにくいゲストも(要するに坊主頭にしていない宗派の方)お寺さん関係だったのだ!
しかも、そのお寺さん関係のうちの一人が飲んでいたのがドンペリニヨン・ロゼ2000年。

某宗派の北海道のお寺さん、成田。
この成田、めちゃくちゃ男前で背も高い。頭こそ坊主頭だがスーツが似合う50男で、どう見てもイケメンビジネスマンだ。
同じく北海道の雲水さんをつれて一杯やっていたのだが、周りの様子がおかしいことに気付き声のトーンを落として話しをしていた。
「あああ。もう。こんな時にドンペリニヨンのロゼなんか飲んで、また悪目立ちしてるって言われたらどうしよう。ポリフェノールさん、そういやドンペリニヨンて人の名前だったよね?」
「はい。修道士。つまりはお坊さんですね(笑)」
「ああああああああ。もう我ながら冗談みたいなシャンパン飲んでるし!」
大きなため息に、アルバイトのコダマちゃんがフォローを入れる。
「大丈夫ですよ成田さん!成田さんが目立つのは男前だからで、ドンペリニヨン・ロゼのせいじゃありませんって!」
「そ、そうかな?え?いやいやどっちにしても目立ってるの?それが問題なんだけど!(笑)」
「いやあ、これだけお寺さんがずらっと並んだカウンターもなかなかありませんよねー。ドンペリニヨン・ロゼの赤色が赤毛氈に見えてきましたよ(笑)」
とんでもないことを言い出したコダマちゃんに一同吹き出す。
「京都は白足袋には逆らうなって言うらしいけど、コダマちゃんには逆らうなっていうのも付け足したほうが良いね(笑)」
「えー♪♪成田さん。おおきにー♪♪」
成田の冗談を本気にするコダマちゃんにポリフェノールが
「コダマちゃん。それ褒められてないよ(笑)成田さん、うちのアルバイトが失礼しました。」
ぎょっとした顔でポリフェノールに抗議しようとしたコダマちゃんだったが、そこでガラッとバーの扉が開きお茶屋やましろの女将が舞妓のよしえりを連れて入ってきた。
女将は入ってくるなり爆弾発言を投下した。
「いやあ。なんやここは。お寺さんだらけどすなあ。しかも飲んではるのが赤ワインにロゼのシャンパンって。なんや赤毛氈がカウンターに敷いてあるみたいやわぁ(笑)」
ズルっと滑る一同。
店内のあっちこっちで爆笑が起きる。
先程までお互いをけん制していた各宗派のお寺さん達もお互いに自己紹介をして話し始めた。
「はー。さすが女将さんですね!一瞬で場の空気を変えはったわ!」
感心するコダマちゃんに女将が
「コダマちゃん。こういうのは場数なんよ。もちろん、同じことを違う人が言うてもアカンのやけど。
それに、成田さんはじめ今カウンターに居はるお客さん全部ウチとこのお客さんでもあるしな」
言われてコダマちゃんが辺りを見回すと、カウンターに座っていたお客さんのほとんどが女将を見て顔を赤らめていた。どうやらほとんど皆この美人女将のファンだったようだ。
「はあー!流石ですね!京都は鴨の流れと白足袋には逆らうなって言いますけど、こういうことなんですねー」
「いや。コダマちゃんそれは違うよ。結局男は女に弱いんだって話しだよ。それも美人さんに!
ほら、あっちの顔を真っ赤にして女将さんを凝視してる眼鏡の方なんて某宗派の御坊の中でも厳格で通った堅物だよ?見てみ!あのだらしない顔!(笑)」
成田の説明にコダマちゃんも納得する。
「解りました!男はアホやってことですね!(笑)」
「コダマちゃん。お客様をアホはダメでしょアホは(笑)なんならアホは君や(笑)」
笑い合う一同。
こうして今夜もワインバーバハムートの夜は更けていった。